そこまでして元号にこだわる理由が分からない…

今月1日に新元号「令和」が発表され、今日で平成が終わるわけですが、それ絡みのニュースを観ていると違和感しか感じませんし、うんざりさせられることしきりでした。

それはなぜかと言うと…

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西暦の利用に統一すれば効率的で、合理性を考えればそうすべきなのに日本人はなぜかそうせず、元号にやたらとこだわることが理解できない

から。

それなのに…

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政府からの通達で公的な文書には元号を使うことを要請し、西暦を使うとわざわざそれを元号に訂正させるというバカなことをする。

逆に西暦の利用を義務化し、元号を使うと西暦に訂正させるようにすべきなのに本当呆れます。

とは言え民間企業では元号を使わず西暦の利用に統一されてきていますが、相変わらず役所ときたら…

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その結果水道料金の通知に「令和31年」と元号を間違えて印刷してしまうといった元号絡みのミスがあちこちで発生。

こんなの元号の利用を止め西暦の利用に統一すれば起こり得ないミスなのにバカだねーー、としか言いようがない。

よって普通に考えれば「日常生活での元号の使用は止めて全て西暦を使うようにする」という結論に達するのが当然なのに、日本人はなぜかそういう発想に至らず、元号の使用に固執してしまう。

何事にも効率や利便性、合理性を追求する「合理性至上主義」の私にとっては有り得ないし、呆れる他ありません。

 西暦の利用に統一すれば改元に際して元号で記載された書類を作り直したりといった作業も(永久に)不要になりますし、当然そのためのムダな労力やコスト(役所関係のものだと当然税金)もかからない。

俺はこんな非効率なことのために税金を払ってるんじゃねぇんだぞ、と怒りを覚えます。

しかも既に改元が決定しているにもかかわらず平成35年といった存在しないことがはっきりしている年号が書類に記載されるような事態を放置するというアホなことをする。

私は去年運転免証を更新して有効期限が「平成35年~まで有効」とだけ書かれたゴールド免許(福岡に移って車を運転することがなくなったのでいわゆるペーパーゴールド)を取得したのですが、私が運転免許を更新した時には既に改元が決定していて、有効期限の年は新元号の年になることがはっきりしているのになぜ西暦を使うといったことをせずこんな表記を放置しているんだろう、と思わずにはいられませんでしたし、警官に「平成35年は絶対に来ないから、これって永久に有効なんですよね」と嫌味を言いたくなってしまいます。

その後運転免許証の有効期限の記載は元号と西暦の併記という形になりましたが、西暦だけでいいだろ、と思わずにはいられません。

 

それにしても平成時代になってITの利用が更に進み、何事もコンピューターシステム上で動く世の中になったのに元号の利用を止め、全て西暦で処理するといった対策を取ることなく改元を迎えたということには驚き呆れます。

昭和→平成の改元で一度経験していることだし、対策する時間は30年もあったのに一体何をしていたのか。

普通に考えれば有り得ません。

そもそも改元日が今年の5/1になったということ自体がIT時代となった今有り得ないこと。

年の途中に改元日があれば1つの西暦の年に2つの和暦の年が存在することになり、2019/4/30までは平成31年、それ以降は令和元年とコンピューターでの処理の際に分岐処理を追加する必要があり、当然それは様々なトラブルの原因となるため避けられるものなら避けたいですから、普通に考えれば改元日は1/1以外考えられないはず、って言うかそもそも西暦の利用に統一されていればそのようなことを気にする必要はなく、対応に慌てる必要もなかったのですが。

今回は生前退位ですから改元日は自由に決めることができるのに、そういったことを全く考慮せずに改元日が決定されたのですから「何してるのバカなの?」としか言いようがありません。

 

今回の新元号騒ぎで改めて分かったのは
日本人は効率、合理性をガン無視し、歴史、伝統云々言われると思考停止してしまうバカである

ということ。

ですから今となっては時代遅れで、非効率、非合理的で海外では廃れてしまった、もしくはそもそも存在しないものなのに日本では未だに生き残っているものや、グローバルスタンダードをガン無視して日本独自のガラパゴス規格が国内標準になっているものがいくつもあり、しかも国民がそれがおかしなことであることに気づいていない。

元号の他には印鑑、貯金通帳、FAX、2G携帯のPDC(利用終了していますが…)、Felicaといったものが例として挙げられますが、こうして時代に合わせて変わろうとせず、頑なに古いやり方を続けていたのですからバブル崩壊後に日本が長期経済低迷に陥って没落したのは必然であり、そして令和時代も引き続き没落し続けるんだろうなぁ、としか思えません。

まぁ平成時代になされた数々の愚行により日本滅亡へのレールがしっかりと敷かれてしまいましたから、残念ながらそうなることは既に決定済ですが…

 

こういうことを書くと「売国奴」「パヨク」「左巻き」といったことを言う人が湧いてきそうですが、私は元号の存在自体を否定しているわけではなく、単に効率、合理性の観点から西暦の利用に統一すべき、と思っているだけなのであしからず。

 

最後に余談ですが未だに新聞の号外が発行されていることにも驚きます。

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元号を伝える号外を手に入れるために2時間待った上にそれを取り合ったりするんですから「そこまでして号外を手に入れようとするってバカなの?」としか思えません。

今では何かニュースがあればすぐにネット上に流れるので号外を手に入れなくてもスマホですぐに分かるのですから、号外なんか合理性ゼロ、単なる紙とインクのムダでしかないので全く不要なのに…

そもそも新聞の号外はTVで「号外で~す」という号外配布シーンを流すためだけに存在しているとか何とか、という話もありますから、とっとと廃止すればいいのに、としか思えません。

これもまた日本人が「効率、合理性をガン無視し、歴史、伝統云々言われると思考停止してしまうバカである」ことの証なんでしょうね。