思考停止社会ニッポン

先週末名古屋に行ってきたので本当はそれについて書くつもりだったのですが、その前に一つ書いておきたいことがあったので今回はそれについて書くことにします。
選挙ネタが入っていますが、言いたいことは選挙とは直接関係ありません。


選挙の時期になるとメディアが有権者に投票を促し、投票率が上がらない、特に若者のそれが低いのはなぜなのか、そしてそれを上げるにはどうすべきなのかといったことがニュースで流れ、SNSなどでも選挙についての様々な意見が流れます。
しかし私が不思議に思うのは「このように選挙に関して様々な問題が提起されているにもかかわらず『それらを変えるべきだ』といった意見を全くと言っていい程見かけず、そういうものだから仕方ないだろ、といった論調で話が進む」こと。
そもそも日本の選挙で投票率が低い根本的な原因は選挙制度が腐っているから」
日本の選挙制度の腐りっぷりは以前ここで書いていますが、政治屋や所属政党の操り人形しか議員になれない小選挙区制、「一票の格差ガーー」と騒ぐ連中のせいで歪に分割された選挙区の区分け、重複立候補で選挙区で落選しても比例当選できる「ゾンビ議員製造システム」などと問題を挙げていけばキリがありませんが、まともな選択肢がなく、有権者の意見が適切に反映されない制度の下で行われる選挙なんか投票したくないと思うのが当然なのに、投票率が低いのはなぜだ、とか言われても… と思ってしまいます。
日本では国家、国民の利益といったものはそっちのけで既得権益にしがみつくことしか考えない政党ばかりでまともな選択肢がない状態なのに、真に国民の意見を反映した政党を立ち上げよう、といった話は全く聞かないし、それどころか「選挙制度を見直すべきだ」という意見すらなく、
「いくら理不尽なルールであってもルールはルール、それには従わければならない」
と完全に思考停止に陥っている。
ところが日本以外の国でこのようなことが起これば当然のように「そのようなシステムはおかしい、見直すべきではないのか」といった意見が出てきます。
つまり
「理不尽なルールは見直し、おかしいところは変えるべきだ」
という考え方です。
香港では若者が「香港独立を志向する政党がない、それなら作ってしまえ」とばかりに香港独立を旗印とした政党を立ち上げ選挙に臨む、といったことがありましたが、こういったところにこの考え方がよく現れています。
日本と海外でのこの考え方の違い、本当不思議でなりません。
選挙に限らず日本にはこの手の話はたくさん転がっていて、それに出くわす度に「思考停止し、変わろうとしない日本社会」にうんざりしてしまいます。
そして日本の長期経済低迷、国際的な地位の低下はこのように日本人、日本社会が思考停止した結果でしょうね。


といったことを選挙関連のニュースやネット上の情報を見ていて思ったのでした。


最後に今回の衆院選の話ですが、私は今回投票をボイコットすることにしました。
北朝鮮情勢が緊迫している中選挙なんかやってる場合ではないのだから、投票することはこのような常識外れな行為を認めることになる、と思っているのが理由です。
そもそも首相の一存だけで衆議院を解散できる(つまり解散権を濫用できる)、というのがおかしいのですが…
しかしいつものように政党の広告等で金が転がり込み「選挙特需」ともいえる状態になるメディアはマスゴミらしく全くそれを批判しませんでしたが…
そもそも上記の通り日本の選挙制度は腐っていて、私が投票したいと思う候補者、政党なんかないし、日本の将来にも全く期待していませんから結果がどうなろうと知ったこっちゃない。
たまに「投票に行かないヤツは政治について文句を言う資格はない」とか言うバカがいますが、私からすれば「だから何なの? 選挙で日本が変わるなんて思っている方が頭がおかしいわ」としか言いようがありません。
日本の民主主義は形だけで、中身がないのですから。
そもそも結果は最初から見えていますし、結果がどうなろうと何も変わらないのだから勝手にやってろ、としか言いようがありません。