ガースーの肝いり政策が携帯業界に禍根を残すことになった2020年

今年の携帯業界関連の大きな出来事といえば以前からの政府による携帯料金の値下げ要請、正確には政府が民間企業を恫喝して値下げを迫るという資本主義社会の原則に反する行為が菅政権の元で現実のものとなってしまったこと。

 

9/10のWBSで放送された自民党総裁選候補者同士の討論(と言えるようなものではなかったが)でガースー、もとい菅官房長官(当時)が携帯料金値下げに関する話の中で「電波は国のもの」と発言したのを聞いた瞬間「これはヤバい」という確信を持ちました。

そもそも電波は誰のものでもない公共財であり、政府はその利用を管理しているに過ぎないのに何を勘違いしたのか「電波は国のもの」と公の場で発言したのですから当然です。

 菅氏は官房長官時代から携帯料金の値下げに熱心で、キャリアを恫喝し値下げを迫るという資本主義社会の原則に反する行為を推し進め、メディアはそれを批判しないしキャリアも「それはおかしい」と反論するどころか逆に従順に従うチキンぶりに呆れたのですが、彼が首相になったことでその間違った政策が更に進むことに。

結果携帯電話業界に禍根を残すような事態になってしまいました。

真っ当な資本主義社会、民主主義国家で起こったこととは思えません。

 

これがなぜそれ程問題なのかについての細かいことは以前エントリしているので

 

これって資本主義社会に対する冒涜だろ

 

を参照、ということで詳細については割愛しますが、基本的なことはそれを書いた2年前と何ら変わっていません。

そもそも政府が民間企業を「料金が高い、けしからん」などと言って恫喝し値下げを迫るというのは資本主義社会の原則に反する行為であり絶対にあってはならないことだし、既にMVNOやサブブランドといった携帯料金を安くする方法があるのだから携帯料金が高いと思うのならそれを選べば済む話なのにそうしないユーザーが大多数なのが問題であることには触れず、「(メインブランドの)料金を下げろ」と圧力をかけ恫喝する。

既に格安な選択肢が存在するのにそれを選ぶユーザーが少ないのならそのような動きを促進する施策、つまりMNP手続きの簡便化、手数料の引き下げ/無料化、回線契約と端末販売の完全分離とそれに伴うSIMロックの禁止と「キャリア向け端末」の撲滅により端末を買い換えることなく他キャリアへ移動できるようにする、といったことが必要なのですが、そういった動きは鈍い…

結局のところこのような政府の暴挙が大手を振ってまかり通るのは「それはおかしい」とメディアが指摘、批判せず、キャリアもそれに対して「NO」と言うこともなく従順に従ってしまうから。

「官は民よりも上である」という意識が強い日本らしいと言えばそうですが、もしメディアやキャリアが政府のやり方に異を唱える行動を取ればこんなことは起きないはずなのですがねぇ。

 

政府の恫喝により携帯料金が下がると当然ユーザーは喜ぶでしょうが、その結果キャリアの収益性は悪化することになり様々な面でサービスの質が低下することは避けられないのですが、それについての指摘や批判もほとんどありませんでした。

値下げによる収益性の低下に対してキャリアはキャリアショップ数の削減、各種サポートの有料化、コールセンター番号のナビダイヤル化といったことでその穴を埋めようとするでしょうし、もっと問題なのは設備投資が削られてしまい、その結果ネットワークの質が低下してしまう恐れがあること。

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このようなデータが示すように日本は海外に比べ携帯ネットワークの質が非常に高く、建物の中や過疎地、離島といった場所でも4Gで繋がり、3Gに落ちることは極めて稀で意図的に端末のモバイルネットワーク設定を"3G Only"に切り替えないと3Gにならない程なのに対し海外ではそういった場所では2Gに落ちてしまうことが珍しくないとネットワークの質には格段の差があります。

以前シンガポールを訪れた際マリーナベイサンズ屋上の展望デッキで現地2番手キャリアStarHubが2G(GSM)に落ちてしまい(しかもデータ通信はEDGEではなくGPRS)、シンガポールのような国土が小さくて人口密度が高く、山がなく平べったい地形という携帯ネットワークを整備する上で有利な条件が揃っている国でもこんなことがあるんだと驚いたのですが(シンガポールの2Gサービスは既に終了)、そういったネットワーク品質の差を考慮せず「日本の携帯料金は高い」というのはあまりにも軽率であると言わざるを得ません。

しかも今は5Gのネットワーク整備に多額の費用がかかるタイミングであり、そんな中政府がキャリアを恫喝し値下げを迫るというキャリアの収益を圧迫するような行為を行なえば5Gネットワークの整備が遅れ、その結果バブル崩壊後の経済政策の失敗により既に大幅に落ち込んでいる日本の国際競争力の更なる低下に拍車をかけかねませんし、政府が推し進めている行政のデジタル化の足枷にもなりかねないのですが…

って言うか政府の携帯料金引き下げ策が行政のデジタル化と相反する政策であることに気づいていないのかな、と思ってしまいますし、気づいていないからこそこういう安易な人気取りのための政策が大手を振ってまかり通るんだろうな、と思ってしまいます。

それにしてもこの国では長期的な視点に基づいた政策が全くと言っていい程なく、今だけ良ければいいという短期的な視点に基づいた政策ばかりが推し進められることにはいつものことながらうんざりさせられます。 

そういった政策を繰り返してきた結果日本が長期経済低迷に陥り、経済成長できず国が相対的に貧しくなり、庶民の生活が苦しくなった大きな原因の一つなのですが、未だにそれを教訓にできず何度も同じ過ちを繰り返すのですから呆れて物が言えません。

まぁ日本人は「歴史を学ばない」から過去の教訓に学ぶことができないので無理もないのですが…

 

この「政府による民間企業の恫喝によって実現した携帯料金の値下げ」という愚かな政策がもたらすものとしてまず挙げられるのは楽天モバイルMVNOが死ぬ、ということ。

MNOの料金が安くなれば当然MVNOの競争力が弱まりますから彼らのビジネスが厳しくなるのは当然で、事業継続が不可能になりサービス終了、他社との合併といった動きが加速することになるでしょう。

恐らくIIJmioやmineoといった大手しか生き残れないのではないでしょうか。

そして楽天モバイルもドコモが「政府による『サブブランドによる値下げはけしからん』という恫喝によって生まれたサブブランドっぽいオンライン専用料金プラン」ahamoを投入して来たことで窮地に追い込まれることに。

いくら楽天モバイルが「自社カバレッジ内では通信量無制限」と言ったところで肝心の自社カバレッジが貧弱ですし、根本的に通信速度、品質で劣りますからドコモに(データ容量20GB/月とは言え)同料金のプランを出されたら勝ち目はありませんからね。

ahamoは3G網を利用できない(=VoLTE対応端末が必須)ことが個人的には致命的な欠点だと思っているのですが、大半のユーザーはそんなことは気にしないでしょうし。

個人的にahamoは政府の料金値下げ要請、もとい恫喝に対するドコモの回答、というよりもむしろMVNO楽天モバイル潰しという意図の方が強い、つまり政府の恫喝をライバル潰しに利用しようというドコモの狡猾さが現れたプランだな、という印象を持ちました。

そしてそれは「3大キャリアによる寡占体制の復活」という結果をもたらすことに。

楽天モバイルMVNOが潰れれば当然既存MNOが生き残ることになりますからね。

そうなると彼らは管政権退陣後に政府の恫喝により下げた携帯料金を値上げしてくるでしょう。

寡占体制に戻るのですから当然ですし、そうすることにより政府の恫喝による料金値下げで減少した売り上げを取り戻そうとする動きが出てくるのもこれまた当然であり、長期的にahamoが目指しているものもこれ。

そしてそれにより懸念されるのがせっかく非キャリア向けSIMフリー端末が一般的になり、キャリアに縛られない端末選びが可能になったのにその選択肢が失われること。

3大キャリア寡占体制に戻れば必然的に非キャリア向けSIMフリー端末への需要は減ることになり、そうなるとSIMフリー端末の販売から撤退するメーカーが出てくるのは避けられず、その結果日本国内でSIMフリー端末を単体販売するのはAppleのみ、といったことになりかねません。

今年はソニーSIMフリーXperiaの単体販売を開始するといったSIMフリー端末市場にとって喜ばしい動きがあったのに、それに冷や水を浴びせるようなことになってしまうわけです。

つまり菅政権の人気取りのために行われた政府の恫喝による携帯料金値下げにより既に存在していた格安な選択肢がなくなり、端末選択の自由が奪われた上に通信品質が低下、そして5Gの展開で海外に遅れを取るという結果になりかねないわけですが、それって消費者が望んでいることなの? と思わずにはいられません。

既にMVNOやサブブランドに乗り換えることで携帯料金を引き下げている私からすれば「ふざけんな」としか言いようがなく、強い憤りを感じます。

これまでの携帯料金を安くするための努力が水泡に帰すことになりかねないのですから当然です。

でも多くのバカな国民はそういったことに全く考えが及ばず、実際にそうなった時にそれに気づき「こんなはずでは…」とか言い出すんでしょうね。

本当うんざりです。

そして政府の恫喝による携帯料金の値下げがこのような結果をもたらす懸念があることぐらいちょっと考えれば分かることだったのに事前にそれを指摘、批判せず、今頃になってあれこれ言い出すメディアにも腹が立ちます。

何らかの懸念があれば事前にそれを指摘、批判するのが民主主義社会におけるメディアの役割、仕事であるにも関わらず政権に忖度してかそれを放棄しダンマリしていた彼らにその懸念が現実のものになった時にそれを批判する資格は当然ないのですが、それでも「こんなはずでは…」とか言い出すんでしょうね。

これまたうんざりですし、だから「マスゴミ」と呼ばれるんだよ、としか言いようがありません。

 

というわけで2020年は「日本の携帯業界が壊れていく」節目の年として記録されることになるでしょうね。

その答えは数年後に分かることになりますが、それについては「その時に後悔するなよ。文句を言う資格があるのはそうなる前に懸念を示していた者だけ」とだけ言っておきます。

 

それでは良いお年を。